オホーツク海に一番近いJR北浜駅・喫茶「停車場」【公式】

北浜駅の歴史

蒸気機関車の時代の北浜駅

釧網本線の歴史は大正13(1924)年11月15日、池田から北見、網走を結んでいた網走本線(のちの北海道ちほく高原鉄道、およびJR石北本線の一部)を延長する形で、網走~北浜間が開業したことに始まります。つまり、北浜駅は釧網本線の中でも最も歴史のある駅ということになります。

やがて路線は北浜から斜里(現・知床斜里)を経由して札弦方面へ、また東釧路からは標茶、弟子屈(現・摩周)、川湯(現・川湯温泉)方面へと伸び続け、昭和6(1931)年には最後に残った札弦~川湯間の峠越え区間の完成により、網走~東釧路間の全線が開通しました。

その後、釧網本線は地域の通勤通学の足として、知床・摩周・川湯温泉などへの観光ルートとして、また沿線の木材や農産物、海産物などの輸送路としても重用され、永年に亘って地域交通の重責を担い続けてきましたが、いつしか過疎化やモータリゼーションの進展に追われ貨物輸送は徐々に衰退。旅客輸送も減少し一時は廃止議論の俎上に乗せられたこともありました。
そんな中、昭和59(1984)年2月、合理化の一環として北浜駅の無人化が決定されました。

貝殻通行証

ところが、その頃北浜駅はオホーツク海が一望にできる素晴らしいロケーションと、当時の駅長さんの発案による「貝殻通行証」が話題を呼び、旅人やライダーがひっきりなしに訪れる、ちょっとした観光名所になっていました。
それに何より、地元住民の方々にとってこの駅は「地域の中心」、幼い頃から慣れ親しんだかけがえのない場所です。駅員さんがいなくなった駅が次第にさびれ、荒れ果てていくのは忍びないことでした。

そんな中、地元の料理人(現・藤江店主)が駅舎を借り受けレストランを開くというアイディアが生まれました。

国鉄や網走市としても、せっかくの駅舎を取り壊してしまうよりも、地域の活性化に繋がるような活用方法を模索していたところでした。前例のない事なので様々な困難もありましたが、諸問題をひとつひとつクリアしながら、釧網本線初の「駅レストラン」は実現に向かって着実に動き始めました。

昭和61(1986)年7月15日、北浜駅は軽食&喫茶「停車場」として、新たなスタートを切りました。

その後もモータリゼーションと合理化の波は止まることを知らず、現在の釧網本線は1~2両編成のワンマンカーが往来するだけの閑散ローカル線になってしまいましたが、それでも流氷シーズンや夏休みなどを中心に、毎年大勢の観光客の方々が遠方から足を運んで下さっています。
また、網走と斜里、標津方面を結ぶ国道244号線が駅前を通っていることもあって、お車で立ち寄って下さる地元のお客様や旅行者の方々も多く、「停車場」の小さな木造駅舎は一年を通じて人が途絶えることはなく、形は変われど今も「地域の中心」として多くの方々から愛され続けています。

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